1912年4月、豪華客船タイタニック号は北大西洋で氷山に衝突し、約1500人もの命を奪う大惨事となりました。
そのとき、船上から必死に打ち続けられたのがモールス信号による遭難通信です。
現在では「SOS」が世界共通の救難信号として知られていますが、当時はまだ新しく、タイタニックでは「CQD」と「SOS」の両方が使われました。
本記事では、タイタニック沈没時に実際に送られたモールス信号の内容、そしてその出来事がSOS定着の決定的な契機となった歴史的背景をわかりやすく解説します。
タイタニック号と無線通信の背景

当時の船に搭載されていたマルコーニ無線機
1912年に沈没した豪華客船タイタニック号には、当時としては最新鋭のマルコーニ社製無線機が搭載されていました。これにより船と陸上局、他の船舶との間でモールス信号による通信が可能になります。
船旅の乗客が送る電報や、航行上の安全情報、そして緊急時の遭難信号まで、この無線機は命を守る重要な設備でした。
通信士ジャック・フィリップスとハロルド・ブライド
タイタニック号には2名の通信士が乗務していました。上級通信士ジャック・フィリップスと、下級通信士ハロルド・ブライドです。
彼らは乗客のメッセージを送信するだけでなく、航路上の氷山情報や天候警告などを受信して船長に伝える役割を担っていました。
沈没の夜も、最後まで必死にモールス信号を打ち続け、救助要請を発信し続けたのです。
船と陸をつなぐライフラインとしてのモールス通信
当時の海の上では、電話もインターネットもなく、モールス信号こそが唯一の情報伝達手段でした。
短い信号と長い信号の組み合わせによって、文字や単語を正確に伝えることができ、遭難信号を送る最後の命綱となったのです。
タイタニック沈没時に送られたモールス信号
タイタニック沈没時に送られた遭難信号を見ていきます。
遭難信号「CQD」と「SOS」
タイタニックが沈没した1912年当時、世界的にはまだ「CQD」が一般的な遭難信号として使われていました。
「SOS」は1908年に国際的に採用された遭難信号です。
- CQD
「Come Quick, Danger(至急来たれ、危険)」と解釈されることが多いですが、「CQ:全局」、「D:遭難(Distress)」が由来です。
※CQというアルファベット自体に意味はなく、19世紀イギリスで定められた全局を表す通信略符号です - SOS
1908年に国際的に採用された新しい遭難信号です。
SOSはシンプルで覚えやすく誤認しにくいため有効でしたが、1912年当時の現場ではCQDが使われていました。
タイタニックが送信した遭難信号
タイタニックの遭難時、無線オペレーターは繰り返し遭難信号「CQD」を送信しました。
その後、無線オペレーターのハロルド・ブライドは、同僚のジャック・フィリップスに「新しい遭難信号のSOSを使おう。最後のチャンスになるかもしれないから。」と冗談ぽく伝え、新しい遭難信号である「SOS」も使われました。
以下、映画「タイタニック」の削除されたシーンですが、上記のやりとりです。
0:39あたりで「Maybe we should try the new distress call “SOS”. It may be our only chance to use it.」と言っていると思われます。(英語間違ってたらすみません。)
そして、複数の船舶がこれらの遭難信号を受信しました。
ジャック・フィリップスは船が沈没するまで持ち場に留まって亡くなり、ハロルド・ブライドはひっくり返った救命ボートにしがみついて生き延びました。
タイタニックが実際に送ったモールス信号
タイタニックが実際に送ったモールス信号は以下です。
CQDの場合:「CQD CQD CQD DE MGY」
モールス信号(CQD CQD CQD DE MGY) | 音声 |
---|---|
-・-・ --・- -・・ / -・-・ --・- -・・ / -・-・ --・- -・・ / -・・ ・ / -- --・ -・-- |
SOSの場合:「SOS SOS SOS DE MGY」
モールス信号(SOS SOS SOS DE MGY) | 音声 |
---|---|
・・・ --- ・・・ / ・・・ --- ・・・ / ・・・ --- ・・・ / -・・ ・ / -- --・ -・-- |
MGYはタイタニックを表すコードで、DE MGYは「こちらはタイタニック」を意味します。
(DEはフランス語で「from(~から)」の意味)
タイタニック沈没がモールス信号に与えた影響
タイタニック事故が無線通信に与えた衝撃
この大事故は、無線通信の重要性を世界に強く印象づけました。
もし近くの船がすぐに信号を受信し、適切に対応していれば、さらに多くの命が救われた可能性があったからです。
SOSの国際的な定着と法制度の強化
タイタニックの悲劇を契機に、SOSが正式な国際遭難信号として定着しました。
第2回国際無線電信会議が1912年にロンドンで開催された際、各国は無線通信の運用規則を見直し、遭難時の連携強化が進めることになります。
例えば、「24時間体制での無線監視」です。
これにより、どんな時間でも遭難信号が確実に受信できる体制が整備され、海上安全に大きな役割を果たしました。
まとめ:モールス信号の遭難信号としての役割
タイタニック号の沈没におけるモールス信号の歴史的背景や役割について解説しました。
多くの命が失われた悲劇でしたが、その過程でSOSという遭難信号が世界に広く定着するきっかけとなりました。
無線通信士たちの奮闘を知ることで、モールス信号が単なる古い技術ではなく、人命を守る最後の手段であったことが理解できます。
「SOS」という言葉は、現在世界中で「助けて」の象徴として使われています。タイタニックの悲劇がなければ、ここまで普及しなかったかもしれません。